第38回長野びんずる
びんずるとは

びんずるとは

 長野の夏祭りといえば、江戸時代の初期から始まったといわれる通称"御祭礼"と呼ばれる祇園祭りが全国的に有名でした。祇園祭りというのは、もちろん京都の祇園祭がもっとも有名ですが、全国にも数多くあり、その中で長野の祇園祭は日本3大祇園祭に数えられるほど伝統と格式がありました。

  その御祭礼も戦争のため、昭和13年から14年間は中止され、昭和27年に復活しましたが、戦前ほどの華やかさは次第に無くなっていきました。

  昭和34年、活気の無くなった御祭礼を盛り立てる意味で、企業や商店の広告祭が前夜祭として始まりました。商店や企業が思い思いに趣向を凝らした演し物を作り、中央通りをパレードするというものでした。その広告祭も8年間で幕を閉じ、より若者向けの祭りが登場しました。

  昭和42年、夏祭りの前夜祭として、「火と水と音楽と若者たち」が始まりました。場所を中央通りから城山公園に移し、長野市内のサークルやアマチュアバンドが出演する若者を中心とした歌と踊りの熱狂的なイベントとなりました。

  しかし、時期が梅雨と重なり、4回のうち3回が雨に降られることとなり、祭り自体も不完全燃焼に終わらざるを得ませんでした。

  昭和41年には、篠ノ井市をはじめとする1市3町3村が合併し、大長野市に生まれ変わり、 もっと全ての世代の市民が参加できる市民祭が求められるようになりました。

  そして、昭和46年、長野市のシンボルである善光寺に祀られているおびんずるさんにちなんで、長野びんずるが始まりました。

  そもそも、おびんずるさんは釈迦の高弟で、人々を教化説得するに抜群の力を持っていたといわれ、かえってそれが仏様の怒りをかい、仏勅を受けて摩利支天山に住み、衆生を救ったといわれています。

  そんなちょっと人間くさい所のあるおびんずるさんの名前を頂いた長野びんずるも今年で第38回を迎えます。市民総和楽、総参加の精神のもと、変わり続ける長野びんずるにぜひ、皆さんも参加してみてください。